イランと日本の関係史

研究者や考古学者の調査によれば、イランと日本の交流・関係はササン朝ペルシャ、シルクロード交易の時代にまで遡ります。

 

特筆すべきは、古代ペルシャの重要な歴史的文物を含む西暦8世紀の正倉院の宝物(この貴重なコレクションは奈良時代に聖武天皇によって収集された)が年に一度、歴史都市・奈良で展示されているということです。

 

イランと日本との最初の公式接触は1878年、ペルシャ国王のナーセロッディーン・シャーと榎本武揚駐ロシア日本国公使との会見です。その2年後の1880年、吉田正春率いる日本政府代表団は、軍艦「比叡」でイランを訪問しました。

 

イランと日本の外交関係は、19298月に在テヘラン日本公使館が開設されたことで樹立しました。一年後の1930年には東京にイラン公使館が開設されました。1939年には修好条約が結ばれました。

 

イランと日本の経済関係は、歴史を通じて常に相互補完的な関係でした。イランは世界有数の産油国であり、日本への主要な石油供給国です。

 

イラン石油の国有化後、イギリスとアメリカはイラン産原油の禁輸措置を講じました。このような厳しい状況下で、出光佐三氏は、イギリス船による攻撃や会社倒産の危険を覚悟の上で、イラン国民への支援と両国の友好関係の維持のため、自社のタンカーをイランへと送り、イランから直接日本に原油を輸入しました。日章丸事件は両国の国民の記憶に永遠に残るものとなり、イラン国民はあの事件と日本の行動をよく覚えています。

 

日章丸事件は、イランと日本の友好関係だけでなく経済関係にも少なからず影響を与えており、両国の友好と深い絆の象徴であります。

 

イランと日本の関係は常に相互尊重と相互信頼に基づくものです。これまでに両国間で多くの文書が締結されていますが、その中でも重要なものとして、文化協定(1958年)、経済技術協力協定(1958年)、投資協定(2017年)、受刑者移送条約(2016年)等が挙げられます。

 

税関業務における行政協力に関する協定も二国間文書の一つです。「税関に係る事項における相互行政支援及び協力に関するイラン・イスラム共和国政府と日本国政府との間の協定(イラン・日本税関相互支援協定)」は、20218月、日本国駐イラン特命全権大使とイラン・イスラム共和国関税庁長官兼経済財務次官の間で署名されました。

 

2019年は両国の外交関係樹立90周年の節目の年であり、伝統的な友好関係は新たな章を迎えました。同年612日、安倍晋三・日本国総理大臣は上級代表団を率いてテヘランを訪問し、イランの最高指導者であるハメネイ師ならびに大統領と会談しました。

 

ローハニ大統領は、20191220日、現職のイラン大統領として訪日し、日本国総理大臣の歓迎を受けました。イラン・イスラム共和国と日本との歴史的かつ長年にわたる関係に照らし、両国の協議はさまざまなレベルおよび関心分野で継続しています。

 

ライースィ政権の発足後、岸田文雄氏は日・イラン友好議員連盟会長として、イラン大使公邸を訪れ、ライースィ氏の大統領就任を祝うメッセージを直接イラン大使に手交した日本の最初の要人でした。

 

また、日本政府は両国のハイレベルでの協議の重要性を考慮し、第13期ライースィ政権が発足するやいなや、20218月、茂木外務大臣をイランに派遣しました。

 

岸田文雄・日本国総理大臣は、20229月の第77回国連総会の際、ニューヨークでライースィ大統領と会談しました。

 

イランのアミール・アブドラヒアン外務大臣は20238月に来日し、日本の総理大臣、外務大臣、厚生労働大臣と会談しました。

 

イラン・イスラム共和国と日本の両国の国家元首は、2023年の第78回国連総会の際、建設的な対話と協議を行いました。