徳川(江戸)時代(1603~1868年)以降、日本は征夷大将軍の権力によって国内の政情不安や反乱を終息させ、政治的安定の時期を経ることができました。徳川時代(江戸時代として知られる) 、日本の首都は京都から東京 (旧江戸) に移転され、日本の支配者の主な政策は外国との接触を遮断することに基づいていました。この政策の継続により、日本は二世紀以上にわたり、固有の価値観と文化の保存と発展に注力することになりました。
1854年、アメリカと神奈川条約(日米和親条約)に署名した後、日本は自主的な鎖国政策に終止符を打ち、西洋技術への扉を開き、本格的に近代化と工業化の道を歩み始めました。
このアプローチの採用により、19世紀後半から20世紀初頭にかけて日本は地域大国となり、中国とロシアを征服し、朝鮮半島、フォルモサ(台湾)、南サハリン島(樺太)を征服しました。さらに日本は1931年から1932年にかけて満州を占領し、1937年、中国への進軍を開始しました。
第二次世界大戦での敗戦後、日本は「軽軍備強国」の理念を推進する吉田首相のドクトリン・主義に沿って、経済大国となり、東アジア地域におけるアメリカの主要同盟国となりました。
この数年、日本の政策は「防衛力強化・強国」へとシフトしており、日本の防衛予算はGDPの2%程度まで増加することになっています。日本は30年間にわたって前例のない経済成長を続けてきました。1990年代以降停滞していますが、依然として世界第3位の経済大国です。
故・安倍晋三総理大臣(2006~2007年、2012~2020年)は、日本経済を好転させ、日本の国際的地位を高めるため、野心的な経済・安全保障改革に着手しました。安倍首相の経済政策は「アベノミクス」として知られています。
安倍首相は憲政史上、最長の首相在任日数を記録しました。現在の首相は、岸田文雄氏です。岸田首相は外務大臣として二度、イラン・イスラム共和国を訪問しており、同時に日・イラン友好議員連盟会長も務めています。