15 November 2024
2015/04/28 - 14:41
View 2103

本の紹介:Book&Atlas

『ペルシャ湾の名前に関する文書

本の紹介:

 

ペルシャ湾の名前に関する文書、古代の永遠の遺産』は、2004年に出版されたMohammad Ajam博士によって書かれ編集された本・地図帳です。第2版は、2009年にPirouz Mojtahedzadeh博士とM. Ganji博士の監修の下発行されました。この本は、イランで2010年のベストブック賞を受賞する候補として選ばれ、イランの書籍に関する権威によって、「ペルシャ湾問題」関連の、過去50年間のペルシア語書籍のベストブックの中に位置づけられると発表されました。

*受賞歴**

2010年、第11回イラン・ベスト・リサーチ・アンド・リサーチャーズ国際フェスティバルにおいて、この本は金賞を副大統領から贈られた。 他の多くの賞と多数の感謝状も受けている。

この本の一部は、Javad Nourouziによる書籍『ペルシャ湾』に含まれ、ペルシア語、アラビア語、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ロシア語、中国語、ウルドゥー語の10言語に翻訳され出版されています。

また、Orod Atarpourによる「歴史におけるペルシャ湾の名前」と題された有名なドキュメンタリー映画は、主にこの本の文書に基づいてIRIB TVPress TVで制作されて放送されました。また、2006年に国連のウェブサイトに「ペルシャ湾という用語の歴史的、地理的、法的有効性の概要」という標題で本の要約が公開されており、下記のアドレスで読むことができます。

オケージョナル・ペーパーとして複製された、命名に関する専門家パネルによる2006年国連報告書 MEI OP

 

この本は6つの章と文書、地図で構成されています。

『ペルシャ湾の名前に関する文書、古代の永遠の遺産』第3章の要約

この本は2001年に初めてオンラインで出版されました。

それから2004年にカラーで出版されました

また、2009年に新しいバージョンがリリースされました。この本の内容はペルシャのメディアで繰り返し公開されています。

この本の勧告によると、ペルシャ湾国立デーは2005年にイラン政府によって登録されました。

 

本の一部は、国家報告書として国連に提出され、その地理的なサイトで公開されました。

http://unstats.un.org/unsd/geoinfo/ungegn/docs/23-gegn/wp/gegn23wp61.pdf

 

ペルシャ湾 という用語の歴史的、地理的、法的有効性についての言及

 ペルシャ湾 および異なる言語においての同等な言い方は、2500年前からあらゆる言語で、世界中、特にアラブ世界で継続的に使用されてきており、1960年代以前は「湾岸」を「アラビア湾」とよぶ単一の事例さえも、アラビア語でのテキストや地図でさえみられていない。

1960年代、汎アラビア主義の時代にアラビア語での新しい名前が初めて登場した。古代および過去の世紀のテキストと契約にだけでなく、すべての国際組織と機関も、ペルシャ湾という用語を有効で正確な用語として認識し、使用している。

以下は、ペルシャ湾命名の有効性の歴史的、地理的および法的理由。

1-アラビア語およびその他の言語の公式および非公式の地図と文書

2-公式および非公式の合意と条約

3-国連と国際組織および国際法。

4-歴史的、宗教的、地理的な本

5-アラブの学者が命名の有効性を告白:ペルシャ湾。

ペルシャ湾の名前に関する文書、古代の永遠の遺産

「ペルシャ湾」の永続性

  4 30, 2019 04:30 Asia/Tokyo

毎年、4月30日はペルシャ湾の日に当たります。これは、一国の国民の歴史と文明に起源を発するものでもあり

ます。

2005年から、アラブ諸国や一部の国際機関が国際関係の原則に違反し、妨害行為を行い、この妨害に人々が大きな抗議を起こしたことを受けて、4月30日をペルシャ湾の日としました。しかし、実際には、ペルシャ湾の日は、イラン国民の歴史に端を発するものだと主張することができます。

ペルシャ湾はオマーン海に続いている水域であり、イラン高原とアラビア半島の間に位置しています。その面積は23万7473平方キロです。また、ハドソン湾、メキシコ湾についで、3番目に大きな湾とみなされています。

 

ペルシャ湾

 ペルシャ湾はホルモズ海峡を経てオマーン湾へ、そしてインド洋につづいており、アルヴァンド川のデルタ地帯に、そして、西はチグリス・ユーフラテス川、カールーン川に接しています。

ペルシャ湾に接している国とは、イランのほか、オマーン、イラク、サウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦、カタール、バーレーンです。ペルシャ湾の北部沿岸は、政治的にはすべてイランの領土に当たります。ペルシャ湾やその沿岸は石油や天然ガスが豊富に存在するため、この海域は国際的に重要なものとみなされています。

地理の名称に関する国連文書61によりますと、ペルシャ湾という言葉は紀元前にさかのぼるとされています。この名称にはすべての言語や、文学において、パールスやイラン、あるいはアジャムという言葉が使われています。紀元前5世紀以前から、この地域の名称はペルシャ湾とされてきました。実際、ギリシャ人やローマ人、そして東ローマ帝国やアッバース朝の人々、イスラムの地理学者は、このペルシャ湾の名称を常に使ってきました。タバリーやヤアグービー、マスウーディーの歴史書にも、まさにこの名称が使用されています。

ポルトガル人やスペイン人が侵入した後も、彼らの文書には、ペルシャ湾の名称が使われ、イギリス人やフランス人の侵略時代にも、ペルシャ湾と呼ばれており、ソ連、アメリカ、イギリスの百科事典にも、国連の文書にも、ペルシャ湾の名称が常に使われてきました。

ペルシャ湾におけるイランの歴史的な主権

 紀元前のアケメネス朝時代のダーリウーシュ1世の碑文では、ペルシャ湾における水路の存在が伝えられており、そこでも、やはりペルシア湾にパールサという言葉が使われています。

2世紀のギリシャ人の歴史家アリアノスは、著書『アレクサンドロス東征記』の中で、「ペルシコン・カイタス」という言葉を使っており、これはペルシャ湾という言葉に近いと見られています。

また、1世紀の著名な地理学者ストラボンも、著書の中で、ペルシャ湾を指すためにこの言葉を繰り返し使っています。

古地図における「ペルシャの海」の表記

 2世紀の地理学者プトレマイオスは、ペルシャ湾を「ペルシクス・シヌス」としており、これはまさに、ペルシャ湾に当たります。一部のラテン語文献では、シヌス・ペルシクス、または、マーレ・ペルシクムとされており、これもまさにペルシャ湾を意味します。

現在使われている多くの言語で、ペルシャ湾を意味する単語が導入されているという事実は、触れておく必要があります。日本でもペルシャ湾と呼ばれています。

1世紀のローマ時代の歴史家、キンタス・クルシウス・ルフスも、「アクアルム・ペルシコ」という、ペルシャ湾に当たる言葉を使っています。古地図における「ペルシャの海」の表記

 イスラム時代の歴史資料や地理資料でも、繰り返し、アラビア語でペルシャの海という言葉が使われています。

このため、この湾の歴史的な名称は、さまざまな言語で、ペルシャ湾、あるいはペルシャの海とされてきました。これにより、すべての国際機関では、この湾の正式名称はペルシャ湾とされています。国際水路機関も、常に、ペルシャ湾という名称を使っています。

歴史上のさまざまな時代に残された資料や地図を調べてみると、ペルシャ湾がすべての国民や文化に、ペルシャ湾という名称で認識されていたということが明らかになります。しかし、こうした歴史的な根拠にもかかわらず、1960年代からの汎アラブ主義的な思想の広まりとともに、多くのアラブ人のナショナリストは、無思慮な行動により、ペルシャ湾をアラビア湾という名称に変えようとし、このことをアラブ連盟を通じて正式に通達しました。こうした中、イランの地理的な権利を明らかに侵害するこの行動は、どの国際機関によっても正式に認められていません。

「ペルシャ湾」の永続性

 国連などの国際機関や専門的な組織は、ペルシャ湾の名称を基本的な、信用性ある名称だとしており、ペルシャ湾の名称変更をまったく受け入れていません。国連事務局とその専門機関のある文書では、少なくとも8回にわたり、ペルシャ湾の名前が使用されています。

国連事務局は1971年3月5日付けの文書において、地図や地理書の中で、長年にわたりペルシャ湾の名称が使用されてきたことを認めています。また、1984年8月10日付けの文書と、1990年1月10日の覚書でも、正式にペルシャ湾だと宣言しています。国連は地理的名称の調整に関して開催される定例会合で、この海域がペルシャ湾であることを強調し、それを認めています。

国連文書におけるペルシャ湾の表記

 国連は数回にわたる声明や決議の中で、正式な地図を発表し、ペルシャ湾の名称が公式のものであることを強調するだけでなく、国際的な代表団に対して、正式な文書、特に国連文書では、完全にペルシャ湾の名称を使用するよう要請しています。

一方で、一部のアラブ諸国によるペルシャ湾の名称改変の歴史的な起源とは、どのようなものなのでしょうか。

有識者によれば、このアラブ諸国による間違った呼称は、ペルシャ湾岸諸国がイギリスの委任統治下にあった時代に、イギリスの政府代表をつとめていたロデリック・オーウェンという人物よってはじめて使われたということです。1958年に出版された彼の著作では、次のように記されています。

「私はどの本や地図でも、ペルシャ湾という名前以外目にしたことはない、しかし、数年間、バーレーンにあたるペルシャ湾岸に住むようになってから、ここはアラブ人が住んでいる場所だと気づいた。つまり、アラブ人の海域と呼ぶのが礼儀だ」

アラブ人の組織によるこのような改変を受けて、いくつかの欧米の機関も、あらかじめ計画されたシナリオにより、歴史的な名称の改変をより広い形で続けています。2004年には、アメリカのナショナルジオグラフィック協会が、地図の中でペルシャ湾の名称の脇に誤った名称を挿入しました。

また、2006年には、フランスのルーブル美術館の責任者が、ペルシャ湾の誤った名前を使いました。ナショナルジオグラフィック協会とルーブル美術館はイラン人の愛国者の強い抗議を受け、これによりすぐに謝罪し、修正を加えました。

ペルシャ湾を守るイラン人

 実際、イラン国民は、イランの土地を力強く守ってきた人々であり、権利の回復、自国の文明の歴史と文化的遺産を支えることにつとめ、すべての違反者に謝罪させてきました。イラン国民は国際機関に書簡を送り、ペルシャ湾の呼称への違反者に反対する多くの署名をおこなうことで、イランの敵の悪しき計画を失敗に終わらせてきたのです。ラジオ日本語のフェイスブックやユーチューブなどのソーシャルメディアもご覧ください。

Documents on the Persian Gulf's name the eternal heritage ancient time is a book and atlas written and compiled by Dr. M. Ajam. It was published first on 2004. A second edition was published under the supervision of Dr. Pirouz Mojtahedzadeh and Dr.Mohammad Hassan Ganji in 2009. [1]

 

これまでのところ、アラブ世界の何十人もの著名人が別々の記事で次のことを認めている。

 

「エジプトのアブデルナセルの治世まで、『アラブ湾』という言葉はアラビア語の文書や口承文学には見られないため、ペルシャ湾という元々ある歴史的な名前を変更することは正しくない。」

 

そのアラブ世界の著名人の中には、アブドゥル・ハーディ・アル・ターズィ、アブドゥッラー・イブン・クラン、アブドゥル・ハリク・アル・ジャン・ビ、アブドゥル・モネイム・サイード、アブドゥル・ラフマン・ラシッド、ユースフ・アル・カラダウィ、マジディー・オマル、サアド・イブン・トゥフラ、アフマド・アル・サラフ、サラー・アル・サイイェル、アル・ムバラク・イブン・アブドゥルアズィーズ、アリー・ハミーダーン、などがいる。

出典:『ペルシャ湾の名称に関する史料、いにしえの永遠の遺産』、parssea.org

「ペルシャ湾」の永続性 خلیج فارس

ペルシャ湾の名称に関する史料、いにしえの永遠の遺産

「ペルシャ湾」の永続性

毎年、4月30日(あるいは29日)はペルシャ湾の日に当たります。これは、一国の国民の歴史と文明に起源を発するものでもあります。

2005年から、アラブ諸国や一部の国際機関が国際関係の原則に違反し、妨害行為を行い、この妨害に人々が大きな抗議を起こしたことを受けて、4月30日をペルシャ湾の日としました。しかし、実際には、ペルシャ湾の日は、イラン国民の歴史に端を発するものだと主張することができます。

ペルシャ湾はオマーン海に続いている水域であり、イラン高原とアラビア半島の間に位置しています。その面積は23万7473平方キロです。また、ハドソン湾、メキシコ湾についで、3番目に大きな湾とみなされています。

ペルシャ湾はホルモズ海峡を経てオマーン湾へ、そしてインド洋につづいており、アルヴァンド川のデルタ地帯に、そし

て、西はチグリス・ユーフラテス川、カールーン川に接しています。

ペルシャ湾に接している国とは、イランのほか、オマーン、イラク、サウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦、カタール、バーレーンです。ペルシャ湾の北部沿岸は、政治的にはすべてイランの領土に当たります。ペルシャ湾やその沿岸は石油や天然ガスが豊富に存在するため、この海域は国際的に重要なものとみなされています。

地理の名称に関する国連文書61によりますと、ペルシャ湾という言葉は紀元前にさかのぼるとされています。この名称にはすべての言語や、文学において、パールスやイラン、あるいはアジャムという言葉が使われています。紀元前5世紀以前から、この地域の名称はペルシャ湾とされてきました。実際、ギリシャ人やローマ人、そして東ローマ帝国やアッバース朝の人々、イスラムの地理学者は、このペルシャ湾の名称を常に使ってきました。タバリーやヤアグービー、マスウーディーの歴史書にも、まさにこの名称が使用されています。

ポルトガル人やスペイン人が侵入した後も、彼らの文書には、ペルシャ湾の名称が使われ、イギリス人やフランス人の侵略時代にも、ペルシャ湾と呼ばれており、ソ連、アメリカ、イギリスの百科事典にも、国連の文書にも、ペルシャ湾の名称が常に使われてきました。

紀元前のアケメネス朝時代のダーリウーシュ1世の碑文では、ペルシャ湾における水路の存在が伝えられており、そこでも、やはりペルシア湾にパールサという言葉が使われています。

2世紀のギリシャ人の歴史家アリアノスは、著書『アレクサンドロス東征記』の中で、「ペルシコン・カイタス」という言葉を使っており、これはペルシャ湾という言葉に近いと見られています。

また、1世紀の著名な地理学者ストラボンも、著書の中で、ペルシャ湾を指すためにこの言葉を繰り返し使っています。

2世紀の地理学者プトレマイオスは、ペルシャ湾を「ペルシクス・シヌス」としており、これはまさに、ペルシャ湾に当たります。一部のラテン語文献では、シヌス・ペルシクス、または、マーレ・ペルシクムとされており、これもまさにペルシャ湾を意味します。

現在使われている多くの言語で、ペルシャ湾を意味する単語が導入されているという事実は、触れておく必要があります。日本でもペルシャ湾と呼ばれています。

1世紀のローマ時代の歴史家、キンタス・クルシウス・ルフスも、「アクアルム・ペルシコ」という、ペルシャ湾に当たる言葉を使っています。

イスラム時代の歴史資料や地理資料でも、繰り返し、アラビア語でペルシャの海という言葉が使われています。

このため、この湾の歴史的な名称は、さまざまな言語で、ペルシャ湾、あるいはペルシャの海とされてきました。これにより、すべての国際機関では、この湾の正式名称はペルシャ湾とされています。

国際水路機関も、常に、ペルシャ湾という名称を使っています。

歴史上のさまざまな時代に残された資料や地図を調べてみると、ペルシャ湾がすべての国民や文化に、ペルシャ湾という名称で認識されていたということが明らかになります。しかし、こうした歴史的な根拠にもかかわらず、1960年代からの汎アラブ主義的な思想の広まりとともに、多くのアラブ人のナショナリストは、無思慮な行動により、ペルシャ湾をアラビア湾という名称に変えようとし、このことをアラブ連盟を通じて正式に通達しました。こうした中、イランの地理的な権利を明らかに侵害するこの行動は、どの国際機関によっても正式に認められていません。

国連などの国際機関や専門的な組織は、ペルシャ湾の名称を基本的な、信用性ある名称だとしており、ペルシャ湾の名称変更をまったく受け入れていません。国連事務局とその専門機関のある文書では、少なくとも8回にわたり、ペルシャ湾の名前が使用されています。

国連事務局は1971年3月5日付けの文書において、地図や地理書の中で、長年にわたりペルシャ湾の名称が使用されてきたことを認めています。また、1984年8月10日付けの文書と、1990年1月10日の覚書でも、正式にペルシャ湾だと宣言しています。国連は地理的名称の調整に関して開催される定例会合で、この海域がペルシャ湾であることを強調し、それを認めています。

国連は数回にわたる声明や決議の中で、正式な地図を発表し、ペルシャ湾の名称が公式のものであることを強調するだけでなく、国際的な代表団に対して、正式な文書、特に国連文書では、完全にペルシャ湾の名称を使用するよう要請しています。

一方で、一部のアラブ諸国によるペルシャ湾の名称改変の歴史的な起源とは、どのようなものなのでしょうか。

有識者によれば、このアラブ諸国による間違った呼称は、ペルシャ湾岸諸国がイギリスの委任統治下にあった時代に、イギリスの政府代表をつとめていたロデリック・オーウェンという人物よってはじめて使われたということです。1958年に出版された彼の著作では、次のように記されています。

「私はどの本や地図でも、ペルシャ湾という名前以外目にしたことはない、しかし、数年間、バーレーンにあたるペルシャ湾岸に住むようになってから、ここはアラブ人が住んでいる場所だと気づいた。つまり、アラブ人の海域と呼ぶのが礼儀だ」

アラブ人の組織によるこのような改変を受けて、いくつかの欧米の機関も、あらかじめ計画されたシナリオにより、歴史的な名称の改変をより広い形で続けています。2004年には、アメリカのナショナルジオグラフィック協会が、地図の中でペルシャ湾の名称の脇に誤った名称を挿入しました。

また、2006年には、フランスのルーブル美術館の責任者が、ペルシャ湾の誤った名前を使いました。ナショナルジオグラフィック協会とルーブル美術館はイラン人の愛国者の強い抗議を受け、これによりすぐに謝罪し、修正を加えました。

実際、イラン国民は、イランの土地を力強く守ってきた人々であり、権利の回復、自国の文明の歴史と文化的遺産を支えることにつとめ、すべての違反者に謝罪させてきました。イラン国民は国際機関に書簡を送り、ペルシャ湾の呼称への違

反者に反対する多くの署名をおこなうことで、イランの敵の悪しき計画を失敗に終わらせてきたのです。

 

出典:モハンマド・アジャム(Ph.D.)著『 ペルシャ湾の名称に関する史料、いにしえの永遠の遺産』

 

محمد عجم:    https://www.civilica.com/Paper-GEO82-GEO82_74.html

درگذر زمان نامه های تاریخی نیز 

ペルシャ湾ナショナルデー

 イラン暦オルディーベヘシュト月10日は、ペルシャ湾ナショナルデーに制定されており、ホルムズ海峡とペルシャ湾からポルトガル人を追放した記念日です。

 アラブ連盟が1964年にアラビア語話者によるペルシャ湾の名称使用を正式に禁止するまで、1958年までは、ペルシャ湾の名称の継続的な使用については、世界のすべての言語で異議を唱える人はいませんでした。その後もイランのマスメディアは、2002年まで沈黙したままでした。ペルシャ湾の名称の擁護が公表されたのは、発行部数の非常に少ない一つのアトラスと2冊の本であり、その範囲は少数の図書館と大学教員の域を超えませんでした。しかし、2002年のペルシャのウェブサイトやブログの出現により、状況が変化し、ペルシャ湾の名前を擁護するブログや研究が発表されはじめました。

 モハンマド・アジャム『ペルシャ湾の名称に関する史料、いにしえの永遠の遺産』によれば、1990年代の初めから、衛星テレビが国内で普及し、文化コミュニティの中の意識の高いグループと、社会的および文化的問題に取り組んでいる人々は、アラビア語と、英語をはじめとするアラビア語以外のニュース番組やメディアが、ペルシャ湾の名称を大幅に歪曲していることに気づき始めました。すべての言語と時代におけるこの名前の一貫した正当性と、歴史的背景を主張するため、歪曲する人々に立ち向かい、またこの古代からの名称を保護することの重要性を伝えるため、この貴重な遺産の支持者は行動を起こしました。また、多数の会議やセミナーで、ペルシャ湾の名前の保護について当局に通知しました。1888年の設立以来常にペルシャ湾の名前を使用してきたナショナルジオグラフィックと呼ばれる世界的に有名なアトラスでペルシャ湾の名前を歪めた後、200411月の新しいバージョンで初めて、ペルシャ湾という国際的な名称に、新しい名称を併記しました。この非学問的な歪曲に対して、国内外の社会的および文化的活動家の間で、怒りと抗議が起こり、同機関に数千の電子メールと抗議の手紙と12人以上のオンライン署名の請願書が送られました。アメリカの著名な機関の所長は、イランの人々に謝罪するとともに、過ちを埋め合わせると約束しました。この勝利は、団結によって、偉大な国のアイデンティティの破壊と改ざんを防ぐために偉業を成し遂げられることを示しました。アラブのマスメディアは、前例のないやり方でコメントなしでニュースを報道しましたが、一部は嘲笑し、一部はこの出来事に敬意を払っていました。

 ペルシャ湾の文化的および精神的遺産を保護するために当時のイラン政府によって取られた措置の一つは、ペルシャ湾ナショナルデーを国の公式カレンダーに追加することでした。イラン政府は国内世論の高まりを受け、イラン暦オルディーベヘシュト月10日を、ペルシャ湾ナショナルデーとして国の記念日に正式に制定しました。

انیمشن نقشه‌ها:....

درگذر زمان نامه های تاریخی نیز Historical names

ペルシャ湾の名称に関する史料、いにしえの永遠の遺産』(Documents on the Persian Gulf's name)は、2004年にイランで出版されたモハンマド・アジャム博士によって書かれ編集された本・地図帳。第2版は、2009年にピールーズ・モジュタヘドザーデ博士とM.ギャンジ博士の監修の下発行された。この本は、イランで2010年のベスト・ブック賞を受賞する候補として選ばれ、イランの書籍に関する権威によって、「ペルシャ湾問題」関連の、過去50年間のペルシア語書籍のベスト・ブックの中に位置づけられると発表された[1]

ペルシャ湾の日本地図

受賞歴と功績

2010年、第11回イラン・ベスト・リサーチ・アンド・リサーチャーズ国際フェスティバルにおいて、この本は金賞を副大統領から贈られた。他の多くの賞と ハーシェミー・ラフサンジャーニー 前大統領からの感謝状を含む多数の感謝状も受けている。

この本の一部は、ジャワッド・ノールーズィーによる書籍『ペルシャ湾』に含まれ、ペルシア語、アラビア語英語フランス語ドイツ語イタリア語スペイン語ロシア語中国語ウルドゥー語10言語に翻訳され出版されている[2]

この本は最初に2001年にオンラインで出版された。2004年にカラーで出版、また、2009年に新しいバージョンがリリースされた。この内容はペルシャのメディアで繰り返し公開されている。この本の勧告により「ペルシャ湾ナショナルデー」は2005年にイラン政府によって登録されることとなった[1]

中東

国連のペルシャ湾呼称に関する文書 ST/CS/SER.A/29/Add.2 dated Aug. 18, 1994.

本の一部は、国家報告書として国連に提出され、その地理的なサイトで公開された[3]

また、オロド・アタルプールによる『歴史におけるペルシャ湾の名前』と題された有名なドキュメンタリー映画は、主にこの本の文書に基づいてイラン・イスラム共和国国営放送(IRIB TVPress TVで制作されて放送された。また、2006年に国連のウェブサイトに「ペルシャ湾という用語の歴史的、地理的、法的有効性の概要」という標題で本の要約が公開された[4]

オケージョナル・ペーパーとして複製された、命名に関する専門家パネルによる2006年国連報告書 MEI OP編も存在する[5]

サウジアラビアのペルシャ湾の地図

ペルシャ湾とあるカイロの通り

本の構成と主要な内容]

この本は6つの章と文書、地図で構成されている。本文に記載されているのは以下のような点である。

  • 国連について

この本の92–98頁によれば、国連事務局とその専門機関は何度もスタッフに「ペルシャ湾」のみを標準的な地理的名称として使用するように求めてきた。国連における地名に関する専門家のグループは、2006328日から44日までウィーンで開催された23回目のセッションで、この名称の問題について議論した。会議の報告によると、「興味深いことに、1890年までに印刷された6,000の既存の歴史的地図のうち、バスレ湾、ガティフ湾、アラビア湾という名称を示す地図は3つしかなく、これらは実際には湾(gulf)というより入り江(bay)であるが、現地の言語では入り江と湾の両方がkhaleejと呼ばれている。これらの名称はペルシャ湾全体全体には適用されていない。アラブ人による、アイデンティティと独創性が明確ではない、前述の3つの地図を宣伝用に使うことは、6,000枚の地図と、イラストゥスからヘロドトス、エスタクリ、イブンハガールまでの200冊以上の歴史や観光の本と比較して、ペルシャ湾と呼ばれる水域に関して、いかなる価値も持たない。」[6]国連は、その声明、修正文書、決議において「ペルシャ湾」の名称が公式であると8回にわたって述べており、事務局や他の関連組織のスタッフに、正式な書面ではペルシャ湾の正式名を使用するように求めている。その一部は次のとおり。

  1. Circular No. CAB/1/87/63 dated 16.02.1987 of Managing Director of UNESCO.
  2. ST/CSSER/29 dated Jan. 10, 1990.
  3. AD/311/1/GEN dated March 5, 1991.
  4. ST/CS/SER.A/29/Add.1 dated Jan. 24, 1992.
  5. ST/CS/SER.A/29/Add.2 dated Aug. 18, 1994.
  6. ST/CS/SER.A/29/Rev.1 dated May 14, 1999.
  7. 2008 ,4 April UN. Department of Economic and Social Affairs(DESA). [7]

報告書は続けてこう述べている。「歴史的行為や地図に登録された名称の修正、破壊、または変更は、古代の作品の破壊のようなものであり、不適切な行動と見なされている。したがって、固有の歴史的なアイデンティティを利用した地理的特徴をもった名称は、政治的、部族的、人種的目的を達成するための政治手段として、または国益や他者の価値観との衝突において利用すべきではない。世界中の海上航行およびその他の目的で水路情報を提供する国際機関である、国際水路機関(IHO)は、1953年に発行された規格S-23(海洋と海の境界)のセクション41において、この水域に「イラン湾(ペルシャ湾)」という名称を使用している[8]。米国国立地理情報庁(GEOS)のGEOnet Names ServerGNS)は、「外国地名に関してアメリカ合衆国地名委員会が承認した諸決定の公式リポジトリ」であるが、このGNSは「ペルシャ湾」を公式の名称としている。」"[9]

  • イラン(ペルシア)の立場について

2000年以降、イランは「ペルシャ湾」のみを使用している。一部の地図やメディアは、形容詞のない「湾」と呼んでいるが、イランはこれを中立的な用法とは考えておらず、歴史的および法的事実を無視していると見なしている。マフムード・アフマディネジャード大統領(当時)は国連総会で演説を行い、イランとアラビア半島の間の海の唯一の正しい名称はペルシャ湾であると述べ、他の名称の使用を「不法で無効」と斥けた。イランは430日をペルシャ湾の日と正式に制定した。1622年のこの日は、ペルシャのアッバース1世による軍事作戦が成功し、ホルムズ海峡からポルトガル海軍が追放された日である。この決定は文化革命最高評議会によって行われた。背景にペルシャ湾の名称を変更するための運動特定がアラブ諸国によって2009年に始まったことがあるとされる。

  • アラブの学者の認識について

の本の126ページから146ページには、多くの現代のアラブの指導者とエリートのペルシャ湾の名称の正当性に関しての認識に関わる引用や資料が掲載されている。元エジプト大統領のガマール・アブドゥル=ナーセルや他のアラブの指導者たちは、「ペルシャ湾」を使っていた。サウジアラビアの歴史家、アブデル・ハーレグ・アルジャナビは、以下のように述べている。「このペルシャ湾という名前は、イブン・ハルドゥーンイブン・アルアスィールなどのアラブの歴史家や歴史書に記され続けている。また、20世紀初頭からこの地域を支配していたイギリス人と、湾岸の総督との間で締結された条約にも記されている・・・科学的および歴史的な観点から、それはアレクサンドロス大王以来「ペルシャ湾」と呼ばれていた。」彼はローマ人がそれを「アラビア湾」と名付けたのは「根拠がない」と言った。「ナセルが権力を握り、アラブのナショナリズムが台頭するまで、事態は変わらなかった[10]。その後、アラブ人は『アラビア湾』という名前を使い始めた」と彼は付け加えた。そして、アブデルハディ・タジ教授、アフマド・アルサラフ、アブデルイラーフ・ベン・キーラーン2011-2013年モロッコ首相)、アブドゥル・モネム・サイード、アブドゥル・ハリク・アルジャナビ、カラダウィ、エジプト国防評議会の第一議長を務めたマジディ・オマール大将などの、多くの著名な学者や政治指導者、宗教指導者が、ペルシャ湾の名前の信憑性と、名前を変更する正当性の欠如についてコメントしている[11]

 

*Persian Gulf Day

April 29 is celebrated in Iran as ‘Persian Gulf Day’. Iranians care so much about the Persian Gulf , they dedicate April 29  to it in official calendar. In fact, the Persian Gulf is not just a body of water, but part of the culture, history and identity of Iranians and the whole region.

The historical, geographical and commercial position of the Persian Gulf, a place for all living civilizations to live and interact, makes it special to celebrate a day for; a day for all the Iranians to have a short opportunity to defend the historical and authentic truth of the Persian Gulf. This day is the anniversary of forcing out the Portuguese navy of the Strait of Hormuz in the Capture of Ormuz.

  • The Persian Gulf is a valuable treasure, containing half of the world’s oil reserves, with a unique geographical location that profiteers are always plotting to dominate this regional and global economic highway. Geographical Position and Naming Issue: according to the book" Documents on the Persian Gulf's name The Persian Gulf is  a name since 3000 years mentioned in books ,maps and artistic and archeological sites.

While today some regional elements making extensive efforts to use and establish a fake name (Arab Gulf) for the Persian Gulf which lacks historical citations and logical arguments. the United Nations has stated that it does not know any other name other than the Persian Gulf title.

The Persian Gulf, as a water and sea route, has been of great value since the dawn of history and has a history of several thousand years as a clash of ancient civilizations.

Historically, the shores of the P.gulf and the rivers that flowed into it have been the site of the first human civilisations. By studying the history of the Persian Gulf, you can go to sea with ancient fishermen; hunt pearls from Qeshm Island, go to Mesopotamia and dig out the ancient inscriptions of Cyrus; listen to historical stories of the atrocities committed by colonialists on the island of Hormuz, and hear the story of the outbreak of bloody wars and the pirates.

So, for Iranians, the Persian Gulf is not just a sea, but part of history, identity and national heritage. the Persian Gulf is a symbol of civilisation, culture and history that connect the nations of the region. Therefore, now all the countries in the region have a responsibility to preserve the historical heritage of this region in the same historical and original way. Some civilisations like Elamites and Persians date back more than 7,000 years, while others do not exceed a few decades; however, the historical character, originality and dignity of each country requires that it be proud of its resources and not be greedy about the cultural, geographical and ancient resources of others. No country is allowed to create a false identity for itself by distorting history, overturning the facts and stealing the cultural heritage of others.

 

The same importance of identical and strategic importance of the Persian Gulf has caused some racist individuals and organisations to use fake names for this gulf in the last few decades in order to be honoured by attributing it to them. But researchers, lawyers, historians and lovers of the Persian Gulf have prevented this with the help of the United Nations. All ancient geographical documents and maps in different languages such as Persian, Arabic, Spanish, etc. have referred to that gulf as the “Persian Gulf”. Thus, the distortion of its name is nothing but the blatant denial of a historical truth. The United Nations, citing ancient maps and texts, has been emphasizing the name of the Persian Gulf since 1980 with the issuance of various resolutions and statements.

The most important thing that has made the Persian Gulf extremely significant is the existence of natural resources, especially oil, so that the name of the Persian Gulf has become equal to oil and gas.

A major factor that makes the Persian Gulf oil and gas so vital to the United States, Western Europe, and Japan is the great difficulty in replacing the region’s imported oil and gas with resources.

The Persian Gulf region has the one of the largest oil and Gas reserves.

The Persian Gulf offers a unique model of a geopolitical region among the regions that exist in the part known as the Middle East, as separate and distinct geopolitical regions. The region includes nations that are culturally diverse but coordinated politically, strategically, and economically.

 The gulf contains countless valuable marine resources and has valuable animal and plant species, the preservation of which requires the efforts of littoral states. The gulf is also an important international waterway, with its privileged location between the three continents of Europe, Asia and Africa, making it a highway for maritime trade in the region and the world.

All the historical, cultural-identical, economic, geo-economic and geopolitical aspects of the Persian Gulf make it doubly important to maintain the security of this gulf for

the whole region.

本に掲載されている文書のギャラリー[ソースを編集]

この本に掲載されている歴史地図や文書。32 ペルシア湾に関する32の歴史地図. [7] -[8]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  *
some historical maps with reference to the Persian Gulf

from 6th to 20th century.

01-

Map_of_the_World_6th_century_Original_and_reconstOne of the oldest surviving European maps from Byzantine era with the word 'Sinus Persicus' .C. 6th century CE

02

  Reconstruction Avezac of a world map by Anonymous Geographer from Ravenna .C. 700 CE

03 

Reconstruction Avezac of a world map by Anonymous Geographer from Ravenna.C. 700 CE

04    

Istakhri_map_Bahr_Fars.Regional map showing the word Bahr Fars, (Persian sea) in Arabic, from the text of Al-aqaalim by the Persian geographer Istakhri.C. 9th century

05    

Persian_Gulf_11th_century_Arabic_Manuscript.An Islamic map showing Persian Gulf ..C. 320 A.H. (932 CE)

06    

Abu Raihan Biruni world map of the distribution of land and sea,C. 1029

07    

Persian_Gulfs_Biruni_Map.Haft-Darya (seven Seas).C. 1029

08    

Saint_Sever_map_pf_the_world_after_Beatus_1030

Saint Sever map of the world..C. 1030

09    

Mappa_di_Eratostene-19th_.C.Reconstruction of 194 BCE Eratosthenes map..C. 19th Century

10    

Ptolemy_World_Map_15th_Century.jpg (153015 .)

A map based on Ptolemy's Geography for comparison. The work uses the phrase Persicus Sinus..C. 15th century

11    

Ptolemaei_Kartor_early_1400 Dati, La Sphaera of Ptolemaei map.

From the beginning of the .C. 1400

12    

Ptolemy_Bologna_map1482.

Map of the World, Bologna edition of Ptolemy Geographia

.C. 1482

13    

1482 Ptolemy of the Middle East.Ptolemy of the Middle East

.C. 1482

14    

Koeln_map_of_Middle_East_1584 Koeln map of Middle East

.C. 1484

15    

Arabia_Persian_Gulf_and_Insia_Ocean_1484* Persian Gulf and Arabia from Claudius Ptolemaeus, Cosmographia, Jacobus Angelus interpres (Bliothèque nationale de France).C. 1484

16    

Arabia_and_Levant_1484Arabia and Levandt from Claudius Ptolemaeus, Cosmographia, Jacobus Angelus interpres (Bliothèque nationale de France).C. 1484

17    

Quater_of_Asia_1486* Quater of Asia..C. 1486

18    

Incunabula_world_map_by_Hartmann_Schedel_1493 German Map of the World by Hartmann Schedel .C. 1493

19    

Danckerts Map of Asia 1500Danckerts Map of Asia..C. 1500

20    

Ptolemys_world_map_15th_century..Ptolemy's world map (Persicus Sinus).C. 15th century

21    

Alberto_Cantino_World_Map_1502World Map by Alberto Cantino

.C. 1502

22    

J_Pentiusde_Leucho_map1511World map from Ptolemy, Geographia. Venice: J.Pentius de Leucho .C. 1511

23    

QUINTA_ASIE_TABULA_1513 Qunita Unita Asie Tabula..C. 1513

24    

Pietro_Coppo_map_of_Asia_1520Pietro Coppo map of Asia. .C. 1520

25    

Persian_Gulf_1531.Map denoting Sinus Persicus..C. 1531

26    

French map of Persian Gulf.C. 1540

27    

Swiss_map_PG_1540_Basel.Swiss map based on Ptolemy's Geographia.C. 1540

28    

Persian_Gulf_Italian_Map1548. Giacomo Gastaldi's map denoted by cartographic historian Gerald Tibbetts as the first "modern" map of the area, denoting 'Golpho de Persia'.circa 1548

29    

Asia_by_Sebastian_Munster_1545Asia by Sebastian Munster.C. 1545

30    

Arabia_Felice_Nuova_Tavola_1574Italian map of Arabia Felice Nuova Tavola.C. 1574

31    

Ptolemy_PG_1578.Gerhard Mercator's atlas production from Ptolemy's Geographia, depicting Sinus Arabicus (for Red Sea) and Persicus Sinus (Persian Gulf).C. 1578

32    

Ortelius_Map_1580Map by Abraham Ortelius using the term "Persicus" (MAR MESENDIN ol. Sinus Persicus).C. 1580

33    

1588_Persian_Gulf_Map.Map by Sebastian Munster.C. 1588

34    

Asia_by_Heinrich_Bunting_1590Asia by Heinrich Bunting.C. 1590

35    

Jan_Huygen_Van_Linschoten_1596Map of Asia by Jan Huygen Van Linschoten.C. 1596

36    

German_map_Matthaus_1598.German map.C. 1598

37    

16th_c_PG_ufl.Map of Near East.C. 16th century

38    

Iran_Map_Hondius_1610.Map by Dutch map maker Jodocus Hondius.C. 1610

39    

Persici_Sive_Sophorum_Regni_Typus_by_Abraham_Ortelius_1612* Abraham Ortelius Map of Persia.C. 1612

40    

Near_East_William_Hole_1614English map of the Near East by William Hole.C. 1614

41    

Italian_Map_of_Asia_VII_by_P._and_F._Glignani_-_Padua_ca._1621

Italian Map of Asia (Table VII) by P. and F. Glignani, Paduaca.C. 1621

42    

Italian_Map_of_Asia_V_by_P._and_F._Glignani_-_Padua_ca_1621* Italian Map of Asia (Table V) by P. and F. Glignani, Padua.C. 1621

43    

French_Map_of_Persia_and_independant_terretories_1623Persia & Independent Tartarie.C. 1623

44    

John_Speed_Map_of_Asia_1626John Speed Map of Asia.C. 1626

45    

Posidonius_map_of_the_world_by_Petrus_Bertius__Melchior_Tavernier_1628Greek map of the world by Petrus Bertius & Melchior Tavernier (Sinus Persicus).C. 1628

46    

Ancient Mesopot French map of Ancient Mesopotamia,.C. 1631

47    

Populi Persarum Arabes 1675Populi Persarum Arabes.C. 1675

48    

Asia_by_Gerhard_Mercator_1695Asia by Gerhard Mercator.C. 1695

49    

Egypt__North_Africa_showing_Ewd_sea_as_the_Persian_Sea_1696* German Map of Egypt & North Africa showing 'Red sea' as the 'Arabisch Sinus Pars' .C. 1696

50    

Map_of_Persian_Gulf_by_John_Thornton_1699English map of Persian Gulf by John Thornton.C. 1699

51    

PersianGulf_Jansson_17th_.C.Jan Jansson's map of the Persian Gulf

.C. 17th century

52    

Periplus_Latin_Map_17th_century Periplus Latin Map.C. 17th century

53    

Spanish_Map_of_the_Europe_1700Spanish Map of the Europe.C. 1700

54    

Italian_Map_of_Africa_1700Italian Map of Africa.C. 1700

55    

Italian_Map_of_Asia_the_Persian_Gulf_and_Sea_.C. 1700

Italian Map of Asia the Persian Gulf and the Persian Sea (Oman Sea)

56    

Near_East_and_Europe_by_Guillaume_de_Lisle_.C. 1709

French map of the Near East and Europe by Guillaume de L'isle

57    

Das Reich der Perser und der PorthenA German Map of the Parthian Empire, Frankfurt.C. 1719

58    

Persia_Weigel_Christoph.C. 1719 Persia by Christoph Weigel

59    

Parthia_by_Allain_Manesson_Mallet_1719

Parthia by Allain Manesson Mallet.C. 1719

60    

Iran_e_Bozorg2_1719World Map.C. 1719

61    

Persia_Homann_Johann_Baptist__.C. 1720Persia Homann, Johann Baptist

62    

Italian_pap_of_Africa_with_Persian_Gulf_and_sea_by_Paolo_Petrina_of_Napolit_1722 Italian map of Africa with Persian Gulf and teh Persian Sea (Oman Sea) by Paolo Petrina of Napoli .C. 1722

63    

Africa_by_John_Senex_1728Africa by John Senex.C. 1728

64    

Seutte_Persia_and_Arabia_Geographicus_1730Seutter Persia and Arabia Geographicus.C. 1730

65    

Persia_by_Mattheus_Seutter.C. 1730 Persia by Mattheus Seutter

66    

Ottoman_Map_by_Heirs_Homann_Nuremberg_.C. 1737

German map of Ottoman Empire by Heirs Homann, Nuremberg

67    

Persian_Gulf_French_map1740French map of Persia.C. 1740

68    

Seutter_Map_of_Persia_and_Middle_East_1740Seutter Map of Persia and Middle East.C. 1740

69    

Persia_By_Ch-Cellarius_1747 Persia By Ch-Cellarius (and the enlarged section) .C. 1747

70    

Asia_secundum_legitimas_Projectionis_Stereographicae_1744*

British_Map_of_Asia_1808_Persia__section

Asia secundum legitimas Projectionis Stereographicae - In this map the Persian Gulf & the Persian Sea mentioned for(Arab Sea).C. 1744

71    

Persia Emanuel Bowen 1747 Emanuel Bowen map of Iran (Library of  Congress, USA).C. 1747

72    

Persian_Gulf_map_van_keulen_1753Iran and Persian Gulf by Van Keulen.C. 1753

73    

Ottoman_Empire_by_L._Euler_C.1753_Berlin Ottoman Empire by L. Euler, Berlin - The Persian Gulf & the Persian Sea (Oman Sea)

74    

French_Map_of_Arabia_1772French Map of Arabia.C. 1772

75    

Near_East_Thomas_Jefferys_1754Near East Thomas Jefferys.C. 1754

76    

Indian_Ocean_by_Nicolaus_Bellin_1758German map of Indian Ocean by Nicolaus Bellin.C. 1758

77    

Middle-East_Vaugondy_1767Middle-East Vaugondy.C. 1767

78    

English_map_of_Persia_by_John_Gibson_1770English map of Persia by John Gibson.C. 1770

79    

Carte_De_LArabia__Paris_1771Carte De L'Arabia, Paris

.C. 1771

80    

Marine_Map_of_Asia_Paris_1780Marine Map of Asia, Paris .C. 1780

81    

Persia_and_Garden_Eden_by_Thomas_Bowen_1780 English map of Persia and the Garden Eden by Thomas Bowen .C. 1780

82    

Persian_and_Northern_Asia_by_M_Bonne_1780Persian and Northern Asia by M Bonne.C. 1780

83    

French_map_of_Kingdom_of_Persia_by_M._Bonne_1780French map of Kingdom of Persia by M. Bonne.C. 1780

84    

Italian_map_of_the_Empire_of_Persia_by_Antonio_Zatta_1784Italian map of the Empire of Persia by Antonio Zatta.C. 1784

85    

Tuquie_dAsie_et_Perse_Turkey__Persia_1795French map of Turkey & Persia,.C. 1795

86    

Map_of_Persia_and_the_Persian_Gulf_1797Map of Persia and the Persian Gulf.C. 1797

87    

German_map_of_Persia_by_.C.G_Reichard_1804German map of Persia by .C.G. Reichard.C. 1804

88    

Asia_Mollo_Tranquillo__1807Asia Mollo, Tranquillo.C. 1807

89    

British_Map_of_Asia_1808.British Map of Asia_1808_Persia _sectionA British map and the enlarged section.C. 1808

90    

Persia_including_PersianGulf_1811Persia (including the Persian Gulf's Arab states).C. 1811

91    

IranPersianGulf_1820Map by Universal Dictionary of Arts, Sciences, and Literature by Abraham Rees.C. 1820

92    

Drury map of Persia 1822Drury Map of Persia.C. 1822

93    

Ancient_Persia_S._D._U._K_1831Ancient Persia S. D. U. K..C. 1831

94    

Berghaus_Physical_map_of_Indian_Ocean_1840Berghaus' Physical map of Indian Ocean.C. 1840

95    

Berghaus_Physikalischer_Atlas_C.1841Berghaus' Physikalischer Atlas.

96    

British Map of the Persian Gulf .C.1822British Map of the Persian Gulf

97    

Berghaus_map_of_Europe_and_Asia_1842Berghaus' map of Europe and Asia.C. 1842

 98   

  1. & .C. Walker Detailed engraved map of Arabia 1843.British Detailed engraved map by J. & .C. Walker.C. 1843

99    

Persia A K Johnston National Atlas 1843British Map of Persia by A K Johnston National Atlas.C. 1843

100  

Berghaus_Physikalischer_Atlas5.C.1846Berghaus' Physikalischer Atlas

101  

Berghaus_Physikalischer_Atlas4_C.1847Berghaus' Physikalischer Atlas

102  

Hildburghausen_Meyer_1848Hildburghausen Meyer .C.1848_Persia SectionHildburghausen Meyer Map of Asia

  1. British_map_of_Persia__Kabul_by_Philip GeorgeandSon.C.1852

British map of Persia & Kabul by Philip George and Son

104 

  JohnTallis_Persia.C.1851.Map of Persia, by John Tallis

105

.British_School_Atlas.British School Atlas.C. 1852

106  

English_Historical_Textbook_and_Atlas_of_Biblical_Geography_by_Coleman_1854English Historical Textbook and Atlas of Biblical Geography by Coleman.C. 1854

107  

Coltons Persia and Arabia Map.C. 1855Coltons Map of Persia & Arabia

108  

handbookbible- C.1870Handbook of Bivle Geography Britain

 109 

the-admiralty_nories-navigation.C.1877_indian-oceanThe British Admiralty Nories Navigation Map of Indian Ocean.C. 1882

110  

Persia_1900British Map of the Western Asia.C. 1900

111  

Atlas of Ancient and Classical Geography, Samuel Butler.C. 1907

112  

Official_British_Map_of_Asia_1914British Map of Asia.C. 1914

113  

Cairo1908_PG_map Egyptian Map Africa showing Persian Gulf (al-Khalija al-'Ajam = Iranian Gulf).C. 1908

114  

Cairo1910_PG_mapEgyptian Map of Persian Gulf (al-Khalija al-'Ajam - Iranian Gulf) .C. 1910

115  

ancient-middle-east_by_vidal-lablache_atlas-general-histoire-et-geographie.C.1912 Vidal Lablache Atlas's Ancient Middle-East

116   sundaytimesMap.1913Published in "The Sunday Times" (London)

117  

Persian_Gulf_by_British_Government_Handbook_on_ArabiaThe British Government Handbook on Arabia.C. 1919

118  

london geographical nstitute 1920The Peoples Atlas, London Geographical Institute.C. 1920

119   Saudi_map_of_Persian_gulf_1952_Saudi_AramcoA Saudi ARAMCO map showing the Persian Gulf .C. 1952

120  

PersianGulfMap_cairo1965 map of Middle East by Sobhi Abdul-Karim, Cairo.C. 1965

121  

Persian-Gulf-Dubai-mus_19th C. A defaced historical map of the Persian Gulf in  Dubai museum. The word Persian was removed.

So far, dozens of prominent figures in the Arab world have admitted in separate articles that:

" Until the reign of Abdel Nasser in Egypt, the word 'Arab Gulf' was never used and in Arabic language and cannot be found in any  Arabic  documents or oral literature, so changing the original and historical name of the Persian Gulf is incorrect."

Among them: Abdul Hadi Al-Tazi, Abdullah Ibn Kran, Abdul Khaliq Al-Janbi, Abdul Moneim Saeed, Abdul Rahman Rashid, Yusuf Al-Qaradawi, Majdi Omar, Saad Ibn Tufla, Ahmad Al-Sarraf, Salah Al Sayer, Al-Mubarak Ibn Abdul Aziz- Ali Hamidan  Nejah M.Ali -Hozan Qaso and ....

Excerpts from the Book”:

Documents on the Persian Gulf's name. parssea.org

https://www.isna.ir/news/97021006028/

https://www.isna.ir/news/1400021006864/

https://b2n.ir/s67997

https://japan.mfa.gov.ir/portal/newsview/43789

NDPG

https://japan.mfa.gov.ir/portal/newsview/46047

https://japan.mfa.gov.ir/portal/newsview/594107

https://japan.mfa.gov.ir/portal/newsview/46001

part2 book

https://www.cais-soas.com/CAIS/Geography/persian.gulf/persian_gulf_historical_maps.htm

https://japan.mfa.gov.ir/en/newsview/536033

     https://www.aparat.com/v/sbfoF

ویدیوی گفتگوی شهر آرا با دکتر عجم 98

https://web.archive.org/web/20201112214718/http://parssea.org/?m=202007

معرفی کتاب به انگلیسی

https://web.archive.org/web/20160530204556/http://www.farsnews.com/printable.php?nn=8302020084

همایش دوم اردیبهشت 83

https://kids.kiddle.co/Documents_on_the_Persian_Gulf%27s_name

https://kids.kiddle.co/Image:Documents_on_the_Persian_Gulf%27s_name.gif

https://kids.kiddle.co/images/1/12/Documents_on_the_Persian_Gulf%27s_name.gif

 https://web.archive.org/web/20200220031503/http://parssea.org/?p=724

نقشه‌های خلیج فارس

https://web.archive.org/web/20131203005112/http://parssea.org/?p=1338

دفاع حقوقی خلیج فارس

 

https://web.archive.org/web/20210117131448/http://catdir.loc.gov/catdir/toc/fy11pdf02/2010344035.pdf

https://www.magiran.com/author/%d9%85%d8%ad%d9%85%d8%af%20%d8%b9%d8%ac%d9%85

 به ‌مناسبت 10 اردیبهشت؛‌ روز ملی خلیج فارس

http://www.sayeh-news.com/fa/Main/Detail/46037/%E2%80%8E%D8%A7%DB%8C%D9%86-%D9%86%D8%A7%D9%85-%D9%85%D8%A7%D9%86%D8%AF%DA%AF%D8%A7%D8%B1%D8%8C-%D8%AA%D8%AD%D8%B1%DB%8C%D9%81%E2%80%8C%D8%B4%D8%AF%D9%86%DB%8C-%D9%86%DB%8C%D8%B3%D8%AA%E2%80%8E

http://www.mediafire.com/file/th9u85dy9igaw36/Khalij_fars.pdf/file

نسخه پی دی اف آنلاین کتاب رایگان

https://www.farsnews.ir/news/8503160416%20%20%20%20/جزایر-سه-گانه-خلیج-فارس-و-داستان-بحرین-

http://fna.ir/

http://ensani.ir/fa/article/217848/خلیج-فارس-در-قراردادهای-عربی-و-معاهدات-و-حقوق-بین-المللی

 

https://web.archive.org/web/20200629201336/http://shahraraonline.ir/final/site/news-content.php/73526?id=73526

گفتگو با نخستین پیشنهاد دهنده روز ملی خلیج فارس 

نقش «عجم» بر نقشه

https://www.hamshahrionline.ir/news/106180/نام-خلیج-فارس-در-قراردادها-و-معاهدات-منطقه-ای-و-بین-المللی

 در قراردادهای بین المللی

https://www.hamshahrionline.ir/xVdX

https://www.isna.ir/news/97021005937/

نام خلیج فارس در قراردادها و معاهدات منطقه ای و بین المللی

محمد عجم

https://www.magiran.com/paper/2075411

https://sanad.um.ac.ir/index.php?option=com_mag&view=htmlpage&id=628&hp=1430&lang=fa

https://khabarban. com/18323029

نام_بردن_از_خلیج_عربی_برای_هجمه_به_هویت_ایرانی_و_اسلامی

 آرشیوی دریای پارس 

https://www.webcitation.org/6PuCsAOso

نسخه آرشیوی دریای پارس 

https://web.archive.org/web/20150310195346/http://zoodi.com/Persian-Gulf/2-naming-p-gulf.htm

شهر ارا : شرح چگونگی ثبت روز ملی خلیج فارس در گفتگو با محمد عجم

https://web.archive.org/web/20181015042136/http://shahraraonline.ir/final/site/news-content.php/73526?id=73526

  https://web.archive.org/web/20160404121937/http://parssea.persianblog.ir/post/1/

 1381

https://web.archive.org/web/20140108164611/http://ajam1.persianblog.ir/

https://web.archive.org/web/20160329001026/http://parssea.persianblog.ir/1381/10/

 https://web.archive.org/web/20120124012018/http://farsi-arabi.persianblog.ir/

 https://web.archive.org/web/20120423231748/http://bahrefars.persianblog.ir/

 https://web.archive.org/web/20160404121937/http://parssea.persianblog.ir/post/1/

کتاب خلیج فارس به زبان عربی

https://web.archive.org/web/20120511010557/http://farsi-arabi.persianblog.ir/tag/%D8%B4%D8%A7%D8%B1%D8%B9_%D8%A7%D9%84%D8%AE%D9%84%DB%8C%D8%AC_%D8%A7%D9%84%D9%81%D8%A7%D8%B1%D8%B3%DB%8C

https://web.archive.org/web/20201112214718/http://parssea.org/?m=202007

Introducing a book and Atlas

https://web.archive.org/web/20120205062033/http://www.persiangulfonline.org/asp/forum1/display.asp?messageNo=1&threadID=193

https://web.archive.org/web/20120205062023/http://www.persiangulfonline.org/takeaction/pr012805.htm

https://web.archive.org/web/20190407210545/http://parssea.org/?p=117

https://web.archive.org/web/20190331065604/http://parssea.org/?p=973

 

https://web.archive.org/web/20200618103154/http://parssea.org/?p=1363

کتابهای خلیج فارس شناسی

 

https://web.archive.org/web/20200620041041/http://parssea.org/?p=1338

دفاع حقوقی ایرانیان از نام خلیج فارس

 

https://web.archive.org/web/20181008115547/http://parssea.org/?p=800

 

روند شکل گیری و رسمی‌شدن روز ملی خلیج فارس:

 جنگ‌های ایران و استعمار شوم پرتغال در خلیج فارس

https://web.archive.org/web/20160304232056/http://parssea.org/?p=4053

https://parstoday.com/ja/radio/iran-i43172

https://mainichi.jp/articles/20171016/k00/00e/030/194000c      

ペルシャ湾

呼称巡り 米とイラン大統領が舌戦

ペルシア湾呼称問題(ぺるしあわんこしょうもんだい 英語:Persian Gulf naming dispute)とは、イランと湾岸のアラブ諸国の間で発生しているペルシア湾の呼称問題である。ペルシア湾との表記を好まない立場からは「アラビア湾呼称問題」ともいう。

概略

アラビア半島とイラン(旧称・ペルシア)を隔てる巨大な湾の名称は、国際的にはペルシア湾(Persian Gulf)が正式名称として認知されている。英語圏や日本などでは一般にこの湾をペルシア湾と呼んでおり、イランにおいてもこの呼称(ペルシア語:خلیج فارس、ハリージェ・ファールス)が用いられている。

一方、アラブ諸国では汎アラブ主義の高揚した1960年代以降、この湾をアラビア湾(アラビア語: الخلیج العربی、アル=ハリージュル=アラビー)と呼ぶようになった。歴史的にイランとしばしば対立関係にあるアラブ諸国では、中近東を代表する海域名に特定の国名が冠されるのは好ましくなく、また湾岸周辺地域の住民の多くがアラブ人であるとし、この湾の国際的呼称はアラビア湾であるべきだと主張している。

現在の国際名称であるペルシア湾が歴史的経緯に沿ったものであるとしこれを支持するイランと、国際名称をアラビア湾に変えるべきとする沿岸のアラブ諸国の対立は、国際問題となっている。

イランは、「アラビア湾」は政治的に捏造された偽りの名称であるとし、アラブ諸国がこの名称を用いたり「ペルシア湾」の名称を否定することに強く反発している。アラブ諸国は、この湾は過去3000年にわたりアラブのものでペルシアの影響力はサファヴィー朝時代からにすぎず、これを「ペルシア湾」と呼ぶのは笑止だとしている。ただし、アラブ諸国においても歴史学者・政治学者らからは、古代から使われてきた呼称は「ペルシア湾」であり、「アラビア湾」という呼称はナセル時代に生まれたものだとの指摘がある。

(後略)

https://s.japanese.joins.com/JArticle/261758?sectcode=210&servcode=200

  

イラン「韓国、ペルシア湾の名称も正しく知らない」 ホルムズ派兵を非難

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

イラン外務省のムサビ報道官が21日(現地時間)にツイートした内容。[ツイッター キャプチャー]

https://s.japanese.joins.com/JArticle/261758?sectcode=210&servcode=200

イラン外務省のアッバス・ムサビ報道官が21日(現地時間)、「韓国国防部はペルシア湾の歴史的な名称さえ知らないのに何の知識と正当性で軍隊を送るのか」とし、不快さをあらわにした。

ムサビ報道官はこの日、ツイッターに「事実に対する相互尊重と受容が文明国家の間における関係の基本」としながら、このように批判した。

それとあわせてハングルで「ペルシア湾」と表記された中東地域の地図も添付した。出処が明確ではないこの地図は、カルデア、スサン(スサ)などのような表記から推測して、韓国語の聖書に添付されたものとみられる。

ムサビ報道官の指摘は、韓国の国防部が清海部隊の作戦区域をホルムズ海峡まで拡張すると発表しながらガルフ海域の名前を「アラビア湾」と称したことに対するものだ。

これに先立ち、韓国国防部関係者は21日、ホルムズ海峡派兵を発表しながら「清海部隊派遣地域はアデン湾一帯からオマーン湾、アラビア・ペルシア湾一帯まで拡大する」とした。韓国国防部が「ペルシア湾」と言及したが、「アラビア」という名称もあわせて使った点をムサビ報道官は指摘したのだ。

イランとアラビア半島の間のガルフ海域の名称は国際的に「ペルシア湾」で通用している。しかし、イランに敵対的なサウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)と米国政府と西側の一部メディアはこれを「アラビア湾」と称している。イランはこの海域の名称が自身の領域内の影響力を傍証していると感じているため非常に鋭敏に反応する。

これに先立ち、イランはフランスにも「アラビア湾」の使用に対して鋭敏に反応した。フランスのエマニュエル・マクロン大統領が今月17日、「私たちは『アラブ-ペルシア湾』の海洋安全に尽くすためにジャガータスクフォース(レーダー部隊)を派兵した」とツイートすると、イラン外務省は2日後に声明を出して公式抗議した。「エマニュエル・マクロン仏大統領はイランの南側にある湾の唯一の名称は『ペルシア湾』という事実を知るべきだ。そのようなミ

スはフランスがペルシア湾に派兵した決定と同じくらい非常に大きな事実ミスリードだ」と指摘した。

https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/20180314/p3

* https://japan.mfa.gov.ir/en/newsview/536033

* https://japan.mfa.gov.ir/en/newsview/536034

* http://parssea.org/?p=724

* http://parssea.org/?p=114

https://zenmz.exblog.jp/7725110/

http://parssea.org/?p=590

https://japan.mfa.gov.ir/jp/newsview/548279

https://japan.mfa.gov.ir/en/newsview/536033

 

 

 

 

 

تصاویر

متن دیدگاه
نظرات کاربران
تاکنون نظری ثبت نشده است